座敷わらし様の姿を拝める旅館、緑風荘。そして姿を拝めれば幸運に恵まれる?座敷わらし様。しかし座敷わらしについて様々に研究を重ねるにつれ、非常に興味深い事実を発見しました。
もともと座敷わらしは姿を現すものではないと言う事です。座敷わらしははしゃぐ音、箒で座敷を掃く音、さらに鼻をすする音など、「聴覚」としてのみ家人に存在を意識させます。
座敷わらしは、普通の家人には姿を見せません。家人の中で座敷わらしを「見る」ことが出来るのは、一番高年の老女など。つまり年を重ね、経験と一種の霊力を重ねた人のみです。
外部からの客人は、生半可な人物では座敷わらしを「見る」ことができません。旅の修験者、六部、山伏、イタコや拝み屋など、霊力をそなえた人物のみが姿を見ることが出来ます。
もし霊力の無い家人や、全く霊力の無い家人が座敷わらしの姿を視覚として見てしまったら?それは没落の兆しです。そして座敷わらしを「像」として残そうとすることも没落の兆しなのです。
岩手県宮守村のある老人は、製材の仕事でよその家に行った折、座敷わらしを目撃しました。翌日そのことをその家の主人に話したところ、主人は
「人さ見えるようになれば、その家は竈返して(没落)してしまうんだ!」
と、言ったとのこと。
また、このような話もあります。
遠野近在のとある一族の本家では、人手が足りなくて困っている時に必ず何者かが手助けしてくれた。飼い葉を乾していて、急に雨に降られた時に何者かが草を取り込んでくれる。田植えが一日で終わらず、やり残して翌日行って見れは、すべて苗が植わっている。この不思議なものをおがみたいが、姿が無いので拝めない。そこで大きな人形をこしらえて「おこない様」と名づけ、毎日拝んだ。そのうえもっとご利益を期待して、その人形を背負ってお伊勢参りに出かけた。ところがお参りを終えての帰り、遠野が近づいて似田貝の橋まで来たあたりに、急に曇って周囲が薄暗くなり、河童のような姿のものが現れた。その者が「爺様、今帰ったか。」と言うので「うん。今さようやっと帰ってきた。おめさま何処さ行く?」と言うと「寺さいぐ」との答。それ以来、忙しいときの手助けがなくなってしまった。
このブログに最初にあげた、遠野物語の座敷わらしも、富豪の守り神として納まっているときは言い伝えのみで、姿をあらわしませんでした。出て行くときのみ、二人の童女の姿として他人に姿を見せました。宮沢賢治の「ざしき童子のはなし」に登場する座敷わらしも、家に収まっているときは箒の音として家人に姿を知らせ、あるいは家に遊びに来た子供の姿を借りて現れました。それ自身の姿は見せないのです。そしてその家に飽き、よその家に移るときのみ、きれいな子供の姿として渡し守に姿を見せました。
座敷わらしの姿を見る、ということは、座敷わらしの退出、つまりその家にとっては不吉なことなのです。だからこそ緑風荘のご主人は、槐の間に入ることを戒めているのでしょう。姿を見ないように。
だとすれば実に奇妙なことです。
金縛りに遭ったことぐらいが霊体験の私が、座敷わらしの姿を見た。それ以前にも、年に数回とはいえ、何人もの人が座敷わらしを見ている。そして私が目撃した平成10年以降にも、やはり何人もの人がお姿を見ているらしい。
座敷わらしの姿を何人もの人が、家人以外の部外者が見ても、やはり座敷わらしは槐の間に御住まいです。
そして座敷わらしを像として残すことが「退出」の兆しになるなら、次に書く事実は・・・
続く
(上記は、『ザシキワラシの見えるとき』 川島秀一 著 平成11年 を参考としました。)
「ザシキワラシの見えるとき」川島秀一 著 平成11年
カイコと馬の神、祟る神であったオシラ様。旅の坊様を泊めて殺し、その金で身代を作った長者。
ザシキワラシを祭って富み栄え、出て行かれて没落する長者。
岩手県に古くから伝わる民話伝説、信仰の類を学術的に考察した良書です。
多少難解なきらいは在りますが、一読の価値あり。
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